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保己一忌(ほきいちき)ーーヘレン・ケラーが尊敬した男

保己一忌

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

本日9月12日は、「保己一忌(ほきいちき)」です。
江戸時代後期の偉大な学者、塙 保己一(はなわ ほきいち)が亡くなった日です。

ヘレン・ケラーや、今話題の渋沢栄一にも大きな影響を与えた保己一ですが、
現代の日本ではあまり知られていないようです。
ということで、
今回は保己一についてご紹介します。

 

盲目の少年、学問を志す

 

保己一は、延享3年(1746)に今の埼玉県で生まれました。

7歳のときに病気で失明した保己一は、
15歳のときの江戸へ出て、
同じく盲目の雨富検校(けんぎょう)の弟子になります。

雨富検校のもとで、はり、按摩(マッサージ)、お灸に、琴、三味線と
さまざまなことを学んだ保己一でしたが、
どれもいっこうに上達しません。

思いつめた保己一は、ある日堀に身投げをしようとします。
けれどもそこで、師の言葉を思い出したのです。

「命かぎりにはげめば、などて業の成らざらんや」
(命のかぎり頑張れば、できないことはない)

なんとか入水を思いとどまった保己一は、
それ以来、もともと好きだった学問に打ち込むようになりました。

目の見えない保己一は、人に読んでもらった本を暗記し、
手のひらに指で文字を書いてもらって文字を覚えたそうです。
こうして保己一は、学問の道を進み始めました。

 

誰もが学べるように

 

34歳になった保己一は、思い立ちました。

「学問をしたい人が、だれでもどこでも必要な本を読めるようにしよう」

当時は今のように印刷技術も発達していないため、
貴重な本は公家や大名どの一握りの人々しかアクセスできなかったのです。
その状況を変えようと決意した保己一は、
全国の貴重な記録や資料を集めて整理しました。
これが『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』という一大シリーズです。
保己一はこのシリーズを、41年という途方もない年月をかけて完成させました。
全部で666冊ある『群書類従』が仕上がったのは、
保己一74歳のことでした。

また、保己一は48歳のときに国学(外国から影響を受ける前の日本の文化や日本人の精神を研究する学問)を学ぶ研究所「和学講談所」を設立します。
ちなみに「和学講談所」は、松平定信が「温故堂」と名づけました。
この研究所で、保己一は多くの後進を育てました。

来る日も来る日も研究に打ち込んだ保己一は、
文政4(1821)年9月12日、76歳でその生涯の幕を閉じました。
群書類従」を完成させた2年後のことでした。

現代でも保己一が手がけた「群書類従」、
そして彼が編集を始めて、彼の死後弟子たちが完成させた「続群書類従」は
今でも貴重な資料として多くの研究者たちに用いられています。

 

おわりに

 

ということで、
本日は塙 保己一をご紹介しました。
読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!