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糸瓜(へちま)忌ーー近代文学の革命家

糸瓜忌

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

本日9月19日は、明治期の俳人歌人である
正岡子規(まさおかしき)が亡くなった日です。

ということで、
今回は子規忌
別名糸瓜(へちま)忌についてご紹介します。

 

正岡子規とは

 

正岡子規は、
慶応3年(1867)に伊予の国(愛媛県)の松山に生まれました。

新しい時代の俳句、短歌を目指して創作活動を行った子規。
そんな子規のモットーは、
「見たものをありのままに写し取る(写生する)」ということでした。

この子規の姿勢は、
俳句界では高浜虚子河東碧梧桐
短歌界では伊藤左千夫長塚節
散文界では夏目漱石鈴木三重吉といった
そうそうたるメンバーに影響を与えます。

結核についで脊椎カリエスという病気をわずらった子規は、
ほとんど病床で過ごすことになります。
けれども、
壮絶な痛みに耐えながら創作活動を続けました。

7年間病魔と戦い続けた子規は、
明治35年(1902)9月19日、
東京の自宅で子規は静かに息を引き取りました。
34歳。
早すぎる死でした。

 

糸瓜(へちま)

 

子規の家の庭には、
糸瓜(へちま)が植えられていました。

死の前日、
子規はその糸瓜(へちま)を俳句にしています。

 

糸瓜咲(へちまさい)て痰(たん)のつまりし仏かな

(ヘチマの花が咲いている。
その前に、たんのつまった私の遺体があるよ)

 

※当時はヘチマの茎から採れる水が、
たんきりの薬になるといわれていました。

 

痰一斗(たんいっと)糸瓜(へちま)の水も間にあはず
(もう自力でたんもきれなくなった。
たんきりの薬になるヘチマ水を使ったとしても、
間に合わず私は亡くなってしまう)

 

をととひのへちまの水も取らざりき
(おとといは旧暦の8月15日だった。
十五夜に採ると良いといわれているヘチマ水も、
採らなかった)

 

この三句が「絶筆三句」といわれる
子規の辞世の句です。

これらの句から、
子規の命日を「糸瓜忌」というようになりました。

 

糸瓜忌を詠んだ俳句

 

子規門下の双璧といわれた、
高浜虚子(たかはまきょし)と河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)。
この二人が子規を思って詠んだ句をご紹介します。

 

子規逝くや十七日の月明に(高浜虚子
(子規は亡くなってしまったよ。
陰暦8月17日の月明かりのなか)

 

糸瓜忌や叱られし声の耳にあり(河東碧梧桐
(ああ、今日は糸瓜忌がやってきたなあ。
私を叱った子規の声がまだ耳に残っている)

 

子規の短歌

 

ずっと俳句の話ばかりでしたので、
最後に私が大好きな子規の短歌をご紹介します。

 

真砂(まさご)なす数なき星の其中(そのなか)に吾(われ)にて向ひて光る星あり
(小さな砂の粒のような星が、
夜空でたくさん光っている。
その中にひとつ、
私に向かって光っている星がある)

 

おわりに

 

以上、
糸瓜忌(へちまき)に関するお話でした。

読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!