月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)ーー旅!
はじめに
ご機嫌よう!
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。
昨日、
第百代首相が誕生しましたね。
ということで、
今回は「百代」という言葉が出てくる
とある日本の古典の一節をご紹介します。
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、
行きかふ年もまた旅人なり。
舟(ふね)の上に生涯(しょうがい)をうかべ、
馬の口とらへて老(お)いをむかふるものは、
日々旅にして、
旅を栖(すみか)とす。
月日というものは、
永遠の時間を旅する旅人みたいなもので、
やって来ては過ぎ去っていく年月も、
やはり旅人のようなものだ。
舟の上で一生はたらく船頭も、
馬をひいて年をとっていく馬子(まご/馬で人や荷物を運ぶ業者)も、
毎日の生活そのものが旅であり、
旅を自分の家にしているようなものなのだ。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭です。
ここでの「百代」は
「百世代」、
つまり「ずっとずっと長い間」という意味になります。
『おくのほそ道』
松尾芭蕉は、
1644年に伊賀(現在の三重県)で武士の子として生まれました。
俳諧(はいかい/俳句の前身)を学んだ芭蕉は、
30代になって江戸へ出ます。
そしてその後、俳諧師としての道を歩み始めました。
1689年の5月、
芭蕉は弟子の河合曽良(かわいそら)を連れて
旅に出ました。
このとき芭蕉は45歳。
人生50年といわれていた時代に、
この年で大旅行に出るということは
かなり大きな決断であったことでしょう。
ちなみにこの1689年というのは、
芭蕉が尊敬していた西行(さいぎょう)という歌人が
亡くなって500年の節目の年でもあります。
旅を愛した西行の後を慕って、
芭蕉も旅に出たと言われています。
さて、
江戸を出発した芭蕉は、
歩いて陸奥(みちのく/現在の東北地方)の名所を巡り、
9月に大垣(現在の岐阜県)に着き、
この地を去っています。
約150日間、
およそ2400kmの旅でした。
旅を終えた数年後に出版された、
この旅を素材にした紀行文に旅のなかで詠んだ句をまとめたものが
『おくのほそ道』です。
「閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉(せみ)の声」
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
有名なこれらの句も、
「おくのほそ道」に収録されています。
松尾芭蕉忍者説
ここからは余談です。
この芭蕉の陸奥への旅。
長いときには1日約40kmの道のりを歩いたこともあったようです。
45歳で1日約40km歩けるとは、
かなりの健脚です。
ここで思い出していただきたいのが、
芭蕉の出身地。
伊賀です。
そう。
あの、忍者で有名な伊賀です。
こんなに長距離を移動できる45歳がいるわけがない。
↓
芭蕉は普通じゃない。
↓
そういえば、芭蕉は伊賀の出身だ。
↓
もしかして芭蕉も忍者だった……?
他にも理由はあるのですが、
おおむね上記の思考の経路をたどって
松尾芭蕉忍者説がまことしやかにささやかれています。
もっとも、
車も電車も新幹線も飛行機もない江戸時代です。
当時の人にとっては、
1日40kmくらいなんでもなかったという説が有力で、
松尾芭蕉が忍者であった証拠にはなりえません。
この説の真偽は分かりませんが、
このような説がでるくらい現代にいたるまで
芭蕉が人気者であることは確かです。
おわりに
以上、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭をご紹介しました。
読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!