日本語小話

3分で読める日本語雑学

曲(ま)がれば則(すなわ)ち全(まった)しーー曲(ま)がって!

曲がれば則ち全し

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう! 
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

本日10月8日は「木の日」なのだそうです。

ということで、
今回は「木」に関する言葉をご紹介します。

 

曲(ま)がれば則(すなわ)ち全(まった)し

 

古代中国の思想家に、
老子(ろうし)という人がいます。
その人の思想をまとめた『老子(ろうし)』と
いう本の一節を引用します。

 

曲(ま)がれば則(すなわ)ち全(まった)

(曲がることで最後までやりぬける(=生を全うできる))

 

 

木は曲がることで、
光の差す方へ伸びていけますよね。
暗いところでまっすぐ伸びようとしても、
お日さまの光が満足に浴びられないので
大きく育ちません。

また、
まっすぐな木は木材にうってつけなので、
すぐに切られてしまいます。
曲がった木は使い道が限られるので、
かえって切られることなく
大木に成長できます。

 

ですから、
まっすぐな木だけがすばらしいとは限らないのです。

人間関係でもそうですね。
まっすぐに自分の意見ばかりを押し通そうとすれば、
無用な争いを生むことになります。

 

老子』のテキストは、
次のように続きます。

 

「その通りに生き(曲がることをおそれずに生き)れば、
与えられた寿命を全うして、
天に帰ることができる」


老子(ろうし)は「曲がる」ことで、
うまく生きられるといっています。

曲がっているからこそ、
曲がっていること(自分のウィークポイント)を逆手にとって、
うまく事を運べる。
老子(ろうし)はそう教えているのかもしれません。

曲がっていても、
いえ、
曲がっているからこそ良いのです。

 

おわりに

 

以上、
「曲(ま)がれば則(すなわ)ち全(まった)し」
という言葉をご紹介しました。

 

読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!


老子 (岩波文庫 青205-1) [ 蜂屋 邦夫 ]


世界最高の人生哲学老子 [ 守屋洋 ]

藍(あい)より青しーー青! 青! 青!

藍より青し

 

 

はじめに


ご機嫌よう! 
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

 

さて、
今年もノーベル賞の話題が出てくる時期になりました。

今から7年前、
2014年の今日10月7日も、
ノーベル賞の話題で持ちきりでしたよね。
青色発光ダイオードの研究で、
3名の方のノーベル賞同時受賞が決まったのが
この日でした。

ということで、
今回は「青」に関すること言葉をご紹介します。

 

青は藍(あい)より出(い)でて藍(あい)より青し

 

中国の戦国時代の終わりの思想家・荀子(じゅんし)の
思想をまとめた思想書
荀子(じゅんし)』です。
この本に、
次の一節があります。

青は、これを藍(あい)より取りて、
しかも藍(あい)より青し。

(青色の染料は、藍(あい)という草からとるが、
青色の染料はもとの藍(あい)の草よりももっと青い)

 

他の古典同様、
荀子』にも別バージョンがいくつかあります。
そのうちの一つでは、
「青は藍(あい)より取りて」ではなく、
「青は藍(あい)より出(い)でて」となっています。

 

このため、
「弟子が師匠よりも優れている」
という意味で、
「青は藍(あい)より出(い)でて藍(あい)より青し」
という言い方がされるようになりました。

 

付け加えると、
「青は藍(あい)より出(い)でて」を漢文風に
「出藍(しゅつらん)」
と言ったり、
「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」
と言ったりもします。

 

そして、
この文章の続きに、
「冰(こおり)は、
水これをなして、
しかも水より寒し」
というフレーズがあります。

そこから、同じく
「弟子が師匠よりも優れていること」を、
「氷は水より出(い)でて水より寒し」
とも言います。

 

ところで、
現代では
「師匠より優れている」
のところだけが
フォーカスして使われがちなこれらの言葉ですが、
元になった文章を読むと、
少々ニュアンスが異なるようです。

 

元になった文章では、
「先生より優れているからえらいんだ!」
ではなく、
「後から努力することで、
本来のあり方を変えることができる」、
つまり、
「自分を変えるために努力しなさい!
その努力の結果、
先生を超えるくらいになれるよ!」
という、
努力の大切さを説くための例として、
これらの言葉が使われています。

 

性悪説(せいあくせつ)

 

実はこの
「青は、これを藍(あい)より取りて、
しかも藍(あい)より青し」
というフレーズは、
荀子(じゅんし)』のなかの
「勧学(かんがく)」という章に書かれています。

「勧学(かんがく)」の冒頭を引用します。

 

「学は以(もっ)て已(や)むべからず」

(学ぶことをやめてはいけない)

 


この後に、
「青は~」と続くわけです。

ここで荀子(じゅんし)について
少しご紹介させてください。

人はもともと「善」なのか、
それとも「悪」なのか。

この問いは、
古今東西
人々の頭を悩ませています。

荀子(じゅんし)は、
「人の性質はもともとは『悪』なのだ!」
と主張した人です。

彼のいう「悪」というのは、
「悪い」ではなく、
「弱い」という意味です。

 

「人はもともと弱いから、
自分の欲望に負けたり、
周りの環境に流されて、
悪いことにも手を染めてしまう。
そうならないために、
我々は生きていくなかで
たくさん学んでいかなければならなし、
亡くなるまで学ぶことをやめてはいけない。
そうすることで、
人はようやく『善』になれるのだ」

 

ざっくりと言えば、
これが荀子(じゅんし)の考え方です。
そして、
荀子(じゅんし)によれば、
「善人」というのは、
「ものすごく努力して正しい行いができるようになった
すごい人」
なのです。

 

努力をすれば、
「善」になれる。

この考えが、
「青は、これを藍(あい)より取りて、
しかも藍(あい)より青し」からもうかがえます。

 

おわりに

 

以上、
「青は藍(あい)より出(い)でて藍(あい)より青し」
をご紹介しました。

読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!

 

 

「をかし」き「争ひ」ーー月か、露か

「をかし」き争い

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう! 
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

 

さて、

ケンカが話題になっていますね。
子ども同士ももちろんですが、
大人同士のケンカも見ているだけで
心臓が縮み上がるような思いです。

 

そんなケンカですが、
鎌倉時代のエッセイストのお坊さん・兼好(けんこう)法師は、
とあるもめ事をきいて「をかし(=おもしろい!)」と書いています。
今回はこのもめ事についてご紹介します。

 

月か露(つゆ)か

 

ある人の、
「月ばかり面白(おもしろ)きものはあらじ」
と言ひしに、
またひとり、
「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、
をかしけれ。
折にふれば、
何かはあはれならざらん。

 

(ある人が、
「月ほど心がひかれるものはないだろう」
といったところ、
もう一人の人が
「露(つゆ)の方がもっといいよ!」
と言ってケンカになったのが、
おもしろい。
タイミングさえあえば、
どんなものだって心に刺さるのだ)

 

 

徒然草』の第21段の一節を引用しました。

 

なかなか風流なケンカですね。
そしてそのケンカからこの結論にいたる
兼好の考え方もおもしろいです。

 

兼好(けんこう)は続きの文章で、
「自然はいつだって素晴らしい」、
「人里から離れたきれいな川のほとりをお散歩するほど、
心がなぐさめられることはないだろう」
と書いています。

 

兼好(けんこう)式のレジリエンスの高め方は、
自然と触れ合うことのようです。
これは現代人にとっても有効なのではないでしょうか。
ヒュッゲでもマインドフルネスでも、
自然を感じることがポイントのようですよ。

 

ストレスを感じたときは、
自然のある公園などをお散歩してみては
いかがでしょうか?

 

おわりに


以上、
兼好が「をかし」と書いたもめ事をご紹介しました。

読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 



新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 兼好法師 ]

月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)ーー旅!

月日は百代の過客

 

 

はじめに


ご機嫌よう! 
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

昨日、
第百代首相が誕生しましたね。

ということで、
今回は「百代」という言葉が出てくる
とある日本の古典の一節をご紹介します。

 

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)

 

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、
行きかふ年もまた旅人なり。
舟(ふね)の上に生涯(しょうがい)をうかべ、
馬の口とらへて老(お)いをむかふるものは、
日々旅にして、
旅を栖(すみか)とす。

 

月日というものは、
永遠の時間を旅する旅人みたいなもので、
やって来ては過ぎ去っていく年月も、
やはり旅人のようなものだ。
舟の上で一生はたらく船頭も、
馬をひいて年をとっていく馬子(まご/馬で人や荷物を運ぶ業者)も、
毎日の生活そのものが旅であり、
旅を自分の家にしているようなものなのだ。

 

松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭です。

ここでの「百代」は
「百世代」、
つまり「ずっとずっと長い間」という意味になります。

 

『おくのほそ道』

 

松尾芭蕉は、
1644年に伊賀(現在の三重県)で武士の子として生まれました。

俳諧(はいかい/俳句の前身)を学んだ芭蕉は、
30代になって江戸へ出ます。
そしてその後、俳諧師としての道を歩み始めました。


1689年の5月、
芭蕉は弟子の河合曽良(かわいそら)を連れて
旅に出ました。
このとき芭蕉は45歳。
人生50年といわれていた時代に、
この年で大旅行に出るということは
かなり大きな決断であったことでしょう。

ちなみにこの1689年というのは、
芭蕉が尊敬していた西行(さいぎょう)という歌人
亡くなって500年の節目の年でもあります。
旅を愛した西行の後を慕って、
芭蕉も旅に出たと言われています。

さて、
江戸を出発した芭蕉は、
歩いて陸奥(みちのく/現在の東北地方)の名所を巡り、
9月に大垣(現在の岐阜県)に着き、
この地を去っています。
約150日間、
およそ2400kmの旅でした。

旅を終えた数年後に出版された、
この旅を素材にした紀行文に旅のなかで詠んだ句をまとめたものが
『おくのほそ道』です。

 

「閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉(せみ)の声」

 

「五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川

 

「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」

 

有名なこれらの句も、
「おくのほそ道」に収録されています。

 

松尾芭蕉忍者説

 

ここからは余談です。

この芭蕉陸奥への旅。
長いときには1日約40kmの道のりを歩いたこともあったようです。
45歳で1日約40km歩けるとは、
かなりの健脚です。

ここで思い出していただきたいのが、
芭蕉の出身地。
伊賀です。
そう。
あの、忍者で有名な伊賀です。

こんなに長距離を移動できる45歳がいるわけがない。

芭蕉は普通じゃない。

そういえば、芭蕉は伊賀の出身だ。

もしかして芭蕉も忍者だった……?

他にも理由はあるのですが、
おおむね上記の思考の経路をたどって
松尾芭蕉忍者説がまことしやかにささやかれています。

もっとも、
車も電車も新幹線も飛行機もない江戸時代です。
当時の人にとっては、
1日40kmくらいなんでもなかったという説が有力で、
松尾芭蕉が忍者であった証拠にはなりえません。

この説の真偽は分かりませんが、
このような説がでるくらい現代にいたるまで
芭蕉が人気者であることは確かです。

 

おわりに

以上、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭をご紹介しました。

 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 

細川幽斎(ほそかわゆうさい)と刀ーー武道と歌道とかたき討ち

歌人・細川幽斎

 

 

はじめに


ご機嫌よう! 
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

本日10月4日は、
日本刀の日なのだそうです。

ということで、
今回は和歌に関係のある日本刀と、
その持ち主についてご紹介します。

 

細川幽斎(ほそかわゆうさい)


細川幽斎(ほそかわゆうさい)は、
細川家中興の祖といわれる人物です。
※細川家というのは、
細川護熙(ほそかわもりひろ)元首相のお家です。
小倉藩、そして後に熊本潘の藩主を務めた一族です。

 

幽斎(ゆうさい)は、
安土桃山時代の武将です。

武術、馬術、弓術に秀でた人物で、
足利義晴足利義輝織田信長豊臣秀吉徳川家康といった
そうそうたる面々に仕えました。

その一方で、文化人としても名高い幽斎(ゆうさい)。
茶道でおなじみの千利休と親交を結ぶほどの茶人であったほか、
和歌の道(歌道)においても一流の人でした。
武人であり文化人であったのです。

ここからは、
そんな幽斎(ゆうさい)が持っていた
二振りの刀をご紹介します。

 

古今伝授の太刀(こきんでんじゅのたち)

 

幽斎(ゆうさい)は歌人としても特別秀でており、
「古今伝授(こきんでんじゅ)」を受けています。

※「古今伝授(こきんでんじゅ)」…中世の学問や芸道では、
教えの最も重要な部分を、
秘伝として師匠から弟子へと伝承していました。
「古今伝授(こきんでんじゅ)」は、
古今和歌集』についての解釈の秘伝です。

 

関ヶ原の戦いでは、
徳川方についた幽斎(ゆうさい)。
関ヶ原の戦いの直前に石田三成に攻められ、
死を覚悟しなければならないほどに追いつめられました。

けれども時の天皇であった後陽成(ごようぜい)天皇は、
「古今伝授(こきんでんじゅ)」を有する幽斎(ゆうさい)が亡くなり

その教えが途絶えてしうことをおそれて、
使いを出して戦を止めさせたのです。

このとき現地におもむいた使いの一人に、
烏丸光広(からすまるみつひろ)という貴族がいました。
幽斎(ゆうさい)は光広(みつひろ)に古今伝授(こきんでんじゅ)を行いました。
その記念として、
行平(ゆきひら)という刀鍛冶(かたなかじ)が打った太刀を
光広(みつひろ)に送ります。

この太刀は「古今伝授の太刀(こきんでんじゅのたち)」と呼ばれ、
国宝として現代に伝わっています。

 

小夜左文字(さよさもんじ)

 

幽斎(ゆうさい)は、掛川城主の山内一豊(やまうちかずとよ)(後の土佐藩初代藩主)より、
一本の短刀を譲り受けました。

この短刀は、
左文字(さもんじ)という有名な刀鍛冶(かたなかじ)が打ったものです。
この左文字には、
息子が父親のかたき討ちをしたエピソードがありました。
それを気に入った幽斎(ゆうさい)が、
一豊にお願いをして譲ってもらったのです。

このエピソードと、
西行法師(さいぎょうほうし)の
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山(年をとってから、また小夜の中山を越えるような旅ができるとは思わなかった。こうしてこの山を越えられるのも、命があるからこそだなあ)」
という和歌の一節から、
この左文字の刀を「小夜(さよ)」と名付けました。

「小夜左文字(さよさもんじ)」も、
「短刀 銘左  筑州住(名物 小夜左文字)」
として重要文化財として大切に扱われています。

ちなみにこの小夜左文字は、
後の時代に細川家が治める小倉(現福岡県)で飢饉が起こった際に、
人々の飢えを救うために近所の福岡藩に大名物の茶入れとともに売られました。

小夜左文字(さよさもんじ)はかたき討ちの刀であるとともに、
小倉の人々を救った刀でもあるのです。

 

おわりに

 

以上、細川幽斎(ほそかわゆうさい)と
彼が所有していた「古今伝授の太刀(こきんでんじゅのたち)」、「小夜左文字
をご紹介しました。

 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 

 

 

霜(しも)な降りそねーー悲劇の皇子

霜な降りそね

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう! 漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

本日10月3日は、
飛鳥時代に生きた悲劇のイケメン、
大津皇子(おおつのみこ)が亡くなった日です。

ということで、
今回は大津皇子(おおつのみこ)が詠んだ
秋の歌をご紹介します。

 

大津皇子(おおつのみこ)

 


大津皇子(おおつのみこ)は、天武天皇の息子です。
文武両道のイケメンであったといわれる、大津皇子(おおつのみこ)。

残念なことに、
朝廷の権力争いのなか、
朝廷に反抗しようとしたという罪を着せられ、
686年10月3日(※旧暦)に24歳の若さで処刑されてしまいます。

 

霜な降りそね

 

大津皇子(おおつのみこ)は『万葉集』や『懐風藻』に、
すてきな歌や漢詩を残しています。
これからご紹介する歌は、
万葉集』に収録されているものです。

 

経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず少女(おとめ)らが
織れる黄葉(もみぢ)に霜な降りそね

 

(この山の少女(=仙女)がどれが縦糸でどれが横糸だと決めずに織った見事な錦が、
この一面の紅葉だ。
霜よ、どうかこの紅葉に降りないでおくれ。

紅葉を枯らさないでおくれ)

 

秋の紅葉を錦に見立てて詠んだ一首です。
紅葉の美しさが目に浮かぶようですね。

 

余談ーー大津皇子(おおつのみこ)のお姉さん

 

ここからは余談です。

大津皇子(おおつのみこ)には、
大伯皇女(おおくのひめみこ)というお姉さんがいました。
お姉さんは、
伊勢神宮でお勤めをしていたので、
大津皇子(おおつのみこ)とは離れて暮らしていました。

大津皇子(おおつのみこ)は、
亡くなる直前にお姉さんに会いに伊勢神宮へと向かっています。

その際に、
お姉さんが弟である大津皇子(おおつのみこ)を見送って作った歌も
万葉集』に載っています。

そして、
大津皇子(おおつのみこ)が亡くなった後、
お姉さんは伊勢神宮での任を解かれて都に帰ります。
その道中、そして都で弟を思ってお姉さんが詠んだ歌もまた
万葉集』に載っています。

どれを読んでも、本当に切なくなります。
ご興味のある方はぜひ読んでみてください。

 

おわりに


以上、
大津皇子(おおつのみこ)の歌をご紹介しました。

 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 


新版 万葉集 二 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]
 

 

 

 

兼愛(けんあい)ーー愛し合ってるかい?

兼愛

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
 漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

本日10月2日は、
マハトマ・ガンディーの誕生日にちなんだ、
「国際非暴力デー」です。

ガンディーは
インド独立にむけた活動において、
暴力に訴えることはありませんでした。
いわゆる「非暴力」です。
この「非暴力」物理的な暴力だけでなく、
相手を憎むという心理的な暴力も含まれます。

つまり、
「なんじの敵を愛せよ」
というやつです。

すなわち、

平和を実現するために必要なものは「愛」と
いえるかもしれません。

ということで、
今回は平和に関する
中国の思想書の言葉をご紹介します。

 

墨子

 

中国の戦国時代に生きた思想家の一人に、
墨子(ぼくし)という人がいます。
その墨子(ぼくし)の言葉を弟子たちがまとめた、
墨子(ぼくし)』という本があります。


墨子(ぼくし)は、
「先祖、親族を大事にするんだ!」という儒家孔子の教えを守る人たち)に対して、
「先祖、親族だけでなくみんなと愛し合えよ!」と主張した人物です。
この「他人と自分を区別せずに、みんなと愛し合おう」ことを、
「兼愛(けんあい)」と墨子(ぼくし)は言いました。

 

墨子(ぼくし)』の中から、
「兼愛(けんあい)」について分かりやすく説明されている部分を引用します。

 

故(ゆえ)に天下兼(か)ねて相愛すれば則(すなわ)ち治まり、
交(こもごも)相悪(にく)まば則(すなわち)ち乱る。
故(ゆえ)に子(し)墨子(ぼくし)曰(いわ)く、
「以(もっ)て人を愛するを勧めざるべからず」
とは此(こ)れなり。

 

(というわけで、世界中が自分と他人を分け隔(へだ)てなく愛し合えば
世の中は平和になるし、
互いに憎みあえば世の中が荒れる。
だから墨子先生がおっしゃった、
「他人を(分け隔てなく)愛することを勧めないわけにはいかない」
というのはこういうことなのだ。)
※かなり意訳をしております。

 

ここに引用した直前の内容は、
次の通りです。

世界中の人々が自分と他人を分け隔(へだ)てなく愛すれば、
他の国を自分の国のように愛するようになって
他の国に攻めていこうと考えなくなるし、
自分の家族と同じようによその家族を愛すれば、
家族同士のもめ事もなくなるし、
自分や自分の身内と同じように他人を愛せば
他人から物を盗もうとしなくなるし、
上司が部下を、部下が上司を自分の家族のようにあつかえば
上司と部下の関係は良くなるし、
もちろん親子関係だってよくなる。

こういった理論で、
「兼愛(けんあい)」によって平和になると
墨子(ぼくし)』には書いてあります。

この言葉を、
理想論と言う人もいるでしょう。
実際に、『墨子(ぼくし)』のなかには
「兼愛(けんあい)」を理想論だという人たちに対して
反論する箇所があります。

けれども、
戦国時代という戦争の絶えない時代に
このような考え方をした墨子(ぼくし)という人は、
間違いなく勇敢で偉大な人だと私は思うのです。

ガンディーもこう言っています。
「臆病な者は愛を表明することができない。
愛を表明するとは勇敢さのあらわれだ」

 

おわりに

 

いろいろとギスギスしている今日このごろ。
他人を自分と同じように愛する……ことができればいいのですが、
それも難しいですよね。
ですから私は、
勇気をもって少しだけ他人に歩み寄ってみようと思います。

以上、
「兼愛(けんあい)」
という言葉ををご紹介しました。


 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!