日本語小話

3分で読める日本語雑学

月旦評(げったんひょう)ーー何の評?

月旦評

 

はじめに


ご機嫌よう!
 漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

今日から月がかわって10月になりました。
月初めの今回は、
毎月1日に決まってとあることをしていた、
昔の中国の二人の男性をご紹介します。

 

月旦評(げったんひょう)


昔の中国に、

許劭(きょしょう)と許靖(きょせい)という二人の男性がいました。
二人はいとこ同士です。
彼らは地元の人たちをあれこれと批評するのが好きで、
毎月1日にテーマを変えては批評を楽しんでいました。
それが人々の好評を博し、
二人が住む地方では、
人についての批評を「月旦評(げったんひょう)」と
呼ぶようになりました。

※「月旦(げったん)」は、
月の初めの日という意味です。


このエピソードが日本にも伝わり、
現代でも「月旦評(げったんひょう)」という
言葉が使われています。

 

曹操(そうそう)の月旦評(げったんひょう)

 

三国志でおなじみの、
中国の武将・曹操(そうそう)。
曹操は若いころに、許劭(きょしょう)のうわさを聞いて、
わざわざ自分の評価を聞きに許劭(きょしょう)のもとを訪れました。

 

「君は、平和な世の中ならば有能な役人。
乱世ならならば悪党のボスだ」

 

許劭(きょしょう)にそう告げられた曹操は、
大喜びで帰ったそうです。
曹操(そうそう)は若いころから野心家だったのですね。

曹操は中国に魏(ぎ)という国をつくった人です。
文武両道を地で行くすごい人です。

 

おわりに

 

以上、
「月旦評(げったんひょう)」
という言葉ををご紹介しました。


 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 

天衣無縫(てんいむほう)ーー織姫さまの服は……?

天衣無縫

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
 漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

ここ数日、
よく「天衣無縫(てんいむほう)」という言葉をよく目にしました。

ということで、
本日はこの言葉についてご紹介します。

 

天衣無縫(てんいむほう)

 

昔の中国の話です。
郭翰(かくかん)という男のところに、
織女(しょくじょ/日本でいうところの織姫)が舞い降りてきました。

よく見てみると、
織女の服にはまったく縫い目がありません。

不思議に思った郭翰(かくかん)がその訳をたずねると、
織女はこう答えました。

「天衣(天に住まう人が身にまとう服)は、
針や糸を使わないで作るのですよ」

 

このエピソードから、
「天衣無縫(てんいむほう)」という言葉が生まれました。

 

もともとは
「詩や文章などが自然な感じで作られていて
(技巧をこらした形跡が見えず、自然で)、
ほころびがなく、美しいこと」
を表していた「天衣無縫(てんいむほう)」。

現代の日本では意味が変わって、
「おおらかで無邪気な性格(=天真爛漫)」を指す言葉として
使われています。

 

※本当はこのエピソードはもう少し長いのですが、
要所のみピックアップアップしてお届けしました。

 

おわりに

 

以上、
「天衣無縫(てんいむほう)」
という言葉ををご紹介しました。

 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 

 

中原(ちゅうげん)に鹿(しか)を逐(お)うーー射止められるのは一人

中原に鹿を追う

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
 漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

 

ニュースは自民党の総裁選一色ですね。
4人の方々が一つしかないトップの椅子を争って
バチバチしている様子が連日報道されています。

その次には衆院選も控えているということで、
まだまだ政治家さんたちの椅子取りゲームを見守る日々は続きそうです。

ということで、
今回は一つのものを得るためにみんなで競い合う
ことをたとえる言葉をご紹介します。

 

中原(ちゅうげん)に鹿(しか)を逐(お)う

 

「中原(ちゅうげん)」は、黄河流域の広い野原の中央です。
この場所はかつての中国の中心部であったため、
「中原(ちゅうげん)」を制した人が
中国全土を支配できるとされていました。

「鹿」は、皇帝の位(リーダーの椅子)のたとえです。

一頭の鹿を何人ものハンターが追いかけるように、
一つしかないリーダーの椅子を何人もの人たちが争って
手に入れようとしている様子を表した言葉が、
「中原(ちゅうげん)に鹿(しか)を逐(お)う」です。
省略して、
「鹿を逐(お)う」とか、「逐鹿(ちくろく)」と言ったりもします。
昔の中国の詩人・魏徴(ぎちょう)が作った詩がもとになって
使われるようになった言葉です。

現代では皇帝の位だけでなく、
政権や、その他の地位、目的の物を得るために
競い合うことのたとえとしても
この言葉が使われます。

 

おわりに

 

以上、
「中原(ちゅうげん)に鹿(しか)を逐(お)う」
という言葉ををご紹介しました。

 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 

流れに耳を洗うーー嫌なことを聞いたらどうする?

流れに耳を洗う

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
 漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

近頃は以前にも増して耳をふさぎたくなるようなニュースが多いです。

嫌なものを触ったら、手を洗ってリセットしますよね。
では、嫌なことを聞いたらどうすればいいのでしょう?

昔の中国に、
嫌なことを聞いた後におもしろいことをした人がいるので、
今日はその人のことをご紹介します。

 

流れに耳を洗う

 

昔々の中国に、
俗世から離れて暮らす許由(きょゆう)という人がいました。

許由(きょゆう)は人格者として評判が高い人でした。
うわさをきいた堯(ぎょう)という皇帝が、
許由(きょゆう)を次期皇帝にスカウトします。

 

堯(ぎょう)帝といえば、
今の日本にも伝わっているほどの名リーダーです。
それほどの人に「次の皇帝にならないか?」と言われるなんて、
ものすごく名誉なことです。

 

けれども、俗世から距離を置いている許由(きょゆう)は違いました。
彼は、
「汚いこと(聞きたくないこと)を聞いてしまって、耳が汚れた」
と言って、
河のほとりで自分の耳を洗ったのです。

 

このエピソードから、
「流れに耳を洗う」という言葉が生まれました。
「俗っぽい成功を望まず、自分一人の清く正しい生き方をつらぬく」
という意味で使われます。

 

ちなみにこのお話には続きがあります。

許由(きょゆう)が耳を洗っていると、
牛を引いた一人の男が通りかかりました。
その男は、巣父(そうほ)といって、
許由(きょゆう)と同じく高名な人格者でした。
巣父(そうほ)もまた堯帝(ぎょうてい)から
次期皇帝にとスカウトされていたのです。

巣父(そうほ)は許由(きょゆう)が耳を洗っているのを見て、
「こんな汚れた水を牛に飲ませるわけにはいかない」と、
牛に水を飲ませず、そのまま家に帰りました。

 

俗世から離れた人にとって、
権力をもつということは俗の極みで、
汚らわしいことなのです。

 

このエピソードは日本でも人気で、
絵のテーマとしても好まれています。
たとえば東京国立博物館には、
狩野永徳が描いたと伝わる水墨画の掛軸
≪許由巣父図(きょゆうそうほず)≫があります。

 

おわりに


中耳炎が怖いので実際に耳を洗うことはおすすめできませんが、
嫌なことを聞いたときにメンタルをリセットする方法を考えておくことは
意外と大切なのかもしれません。

 

以上、
「流れに耳を洗う」
という言葉ををご紹介しました。

 

 読んでくださりありがとうございます。
 それでは今日はこの辺で。
 ご機嫌よう!

 

一葉(いちよう)落ちて――葉っぱが落ちたら何を知る?

一葉落ちて

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

 

道を歩いていたら、
黄色くなりかけた銀杏の葉がハラリと一枚落ちてきました。
着実に秋が深まろうとしていますね。

落ちてくる葉っぱを見て、
秋が来たことを知る。
ちょうどそういった言葉がありますので、
本日はそれをご紹介しようと思います。

 

一葉(いちよう)落(お)ちて天下(てんか)の秋(あき)を知(し)る

 

淮南子(えなんじ)」という中国の思想書に、
次の言葉があります。

 

「一葉の落つるを見て、
歳の将(まさ)に暮れんとするを知る」
(一枚の葉が散るのを見て、
一年が終わろうとしているのを知る)

 

ささいな予兆から、
世の中の行く末が分かるということの例の一つとして、
この言葉が出てきます。

これがもとになって、
「一葉(いちよう)落(お)ちて天下(てんか)の秋(あき)を知(し)る」
という言葉ができました。

他の木々より早く葉が落ちる桐の葉(豊臣秀吉内閣総理大臣が使用しているマークに使われている葉っぱです)が一枚落ちたのを見て、
秋が来たことを知るということです。
そこから、
身近なちょっとした前兆を見て、
将来の世の中の成り行きを知るという意味で使われています。
現代では特に、
あまり良くない将来について使われることが多いようです。

この言葉は、
一葉知秋(いちようちしゅう)、
梧桐知秋(ごとうちしゅう)、
葉楽知秋(ようらくちしゅう)
といった四字熟語にもなっています。

また、
「桐一葉(きりひとは)」、
「一葉落ちて天下の秋」と言ったりもします。

 

おわりに

 

以上、
「一葉(いちよう)落(お)ちて天下(てんか)の秋(あき)を知(し)る」
という言葉ををご紹介しました。

 

読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!

 

あかあかとーー煉獄杏寿郎という人

あかあかと

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

さあ!
今日はとうとう『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の放送日ですね。
煉獄さんの雄姿を、私も再び見届けたいと思います。

ところで。
煉獄さんのことを考えると、
いつも頭に思い浮かぶ短歌があります。

今日はその短歌について書きます。

※少しだけ映画と漫画のネタバレがございますので、
未視聴の方はお気をつけください。

 

あかあかと

 

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり(斎藤茂吉

(夕日が赤々と明るく照らす一本の道が続いている。

これが私の命なのだなあ)

 

「あかあかと一本の道とほりたり」が、
実際に見た風景のスケッチ。
「たまきはる我が命なりけり」が、
茂吉自身の心の内を詠んだ言葉です。
実際の風景に、
自分の想いを重ねて歌を詠んでいるわけです。

「我が命」は解釈が分かれるかもしれません。
私は、「命」を「宿命」ととりたいと思います。
そうすると、
「私が行くべき道」「私の命の使いどころ」くらいの訳に
なります。

※「たまきはる」は「魂(たま)きはる」で、
「命」にかかる枕詞です。
とくに訳には出てきません。

目の前には、私の行くべき道がある。
あかあかと燃えるようなその道を行くことに、
私は命を燃やしたい。

この歌を、
私はこのように解釈しました。

鬼殺隊に入り柱となって人々を救うという、
生まれた時から決まっていた一本の道を、
全力で駆け抜けた煉獄さん。
「心を燃やせ」の言葉と相まって、
煉獄さんの姿とこの歌が重なるように私には感じられます。

 

おわりに

 

以上、
主観に走り過ぎましたが、
斎藤茂吉の短歌をご紹介しました。

読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!

 


斎藤茂吉歌集 (岩波文庫 緑44-2) [ 山口 茂吉 ]


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将(おく)らず迎えず応じて蔵(おさ)めずーーとらわれない

将(おく)らず迎えず応じて蔵(おさ)めず

 

 

はじめに

 

ご機嫌よう!
漢検漢字教育サポーターで塾講師の有でございます。

ただいま、中学校のテスト週間です。
中学生の生徒さんたちが教室にやってきて、
「今日の英語、意外とできた!」やら、
「今日の社会、全然ダメだった……」と、
いろいろとお話ししてくれます。

テストにかぎらず、
一つ一つの結果に振り回されて、ぐったり。
そういうこと、ありませんか?
かく言う私は思いきりそのタイプです。

ということで、
今回は自戒をこめて、
「将(おく)らず迎えず応じて蔵(おさ)めず」という
言葉について書こうと思います。

 

将(おく)らず迎えず応じて蔵(おさ)めず

 

「将(おく)らず迎えず応じて蔵(おさ)めず」


中国の思想家である荘子の言葉です。

過去のことでクヨクヨせず、
未来のことを心配せず、
その時々に応じて物事に当たり、
心の中に何も溜めこまないという意味です。

起こってしまったことを引きずらない。
まだ起こっていないことは気にしない。
今目の前を過ぎてゆく一瞬一瞬に集中する。
理想の生き方ではないでしょうか。

私もこの境地に至れるように、
人間レベルを上げていこうと思います。

 

おわりに

 

以上、
荘子の言葉をご紹介しました。

読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。
ご機嫌よう!